インタビュー

株式会社 朝日鉄建 朝日康典社長【前編】

 
 
◆ 自己紹介をお願いします。
株式会社朝日鉄建の代表取締役の朝日康典と申します。
生まれも育ちも北山です。学生の頃は東京に暮らしていたこともありますが、地元が大好きで最終的には新幹線で通っていましたね(笑)地元愛が強いんです。こちらに帰ってきて約8年間は設計事務所に勤めていましたが、その後、父親が体調を崩したのをきっかけに弊社に入りました。最初は、例えば現場でペンキを塗ったりですとか下積み時代を経て、役職に就き、それから代表に就任しました。
◆ ご自身はどんなタイプの人間だと思いますか?
意外と人が好きで、旅行にも一人で行くのが好きです。道中で知り合う人、例えば海外で隣に座った外人さんとお話をしたりするのがとても大好きです。 英語はあまりしゃべれないんですけどね(苦笑) 小さい頃からコミュニケーションを取るのが苦手ではなくて、意外と人見知りがないタイプなのかもしれません。
――― 人見知りなく、どんなことでも物怖じしないってことですか?
物怖じはしますよ。ほんと緊張します。でもこういう部分は意外と平気なんですよね(笑)
 
――― どのような場面で緊張されますか?
こういう人前で話すとか、一般的に緊張する場面はやはり緊張しますね。何度かラジオに出演させてもらったことがありますが、かなり緊張しましたね(苦笑)生放送なので、言った発言に対して訂正ってできないじゃないですか?そのまま流れてしまうし。顔は見えないですけど声だけでも、ラジオは何度出演しても緊張します。

◆ 趣味・好きなことは何ですか?
体を動かすことが大好きなのでやはり運動ですね。スポーツは一通りやっています。テニスもゴルフもやりますし、ウィンタースポーツもやりますね。でも、毎日やっているのはジョギングですね。朝や、仕事が終わってから走ったりしてます。この辺りは朝も夜も涼しいのでとても走りやすいですよ。
◆ 毎日行っているルーティーンなどはありますか?
ジョギングと朝の新聞です。
新聞はやはり毎日欠かさず読みたいですね。月に1回の休みの日は残念でなりません。悲しくて昨日の新聞を読んだりしています(笑)
――― 文字を読むことが好きなんですね。本とかも読まれるんですか?
本も好きですけど、本っていつでも自分のタイミングで読めるじゃないですか? でも新聞っていうのはその瞬間じゃないですか?一昨日の新聞を今日読んでも鮮度がかなり落ちちゃっているので(苦笑)毎朝新鮮なできたてホヤホヤの記事を読むのが好きですね。一面から最後まで全部読みます(笑)

◆ 子供の頃に楽しみにしていた行事などはありますか?
小学校一年生の時に、チェッカーズの”クロベエ”に憧れてドラムを叩きたいって親に言いました(笑)打楽器をやりたかったので新聞で小さな広告に『叩き手募集』っていうのを自分で見つけて、和太鼓に入らせてもらったんです。場所も家から近かったので、親に頼んで通わせてもらいました。叩くのが大好きだったので上達も早かったです(笑)いろんなところに行って、演奏したり練習するのがすごく楽しくて、そういうイベントに行ったり練習に行くのがとても楽しみでしたね。 中学生の時に、貯めたおこづかいでドラムの入門キットを静岡まで買いに行きました。そこから洋楽器に移行し始めましたね。それから30歳くらいまでやっていました。
――― 今は音楽はやられないのですか?
昔は東京や名古屋、大阪などに演奏しに行っていました。でも音楽の世界って上には上がたくさんいますし、みんなも年を重ねると、会社でも地位や責任が出来たり、結婚して子供が出来たりするとやはり段々とフェイドアウトしてきて・・・・。
ちょうど最近当時の仲間と会いまして、またやろうかみたいな話をしたところです(笑)
――― どのような曲をやられていたのですか?
僕らは洋楽をやっていました。ほとんどオリジナル曲で(笑)
作詞作曲をして、レコーディングも何回かさせてもらっていました。当時はCDではなく、カセットテープでした。そのカセットテープを売っていましたね。
――― すごいですね。曲が作れるってことは、そこまでのメンバーが揃っていたってことですよね?
実は私、社会人のバンドから拾われたんですよ(笑)
昔商店街にあったすみやでコンテストがあって、そのコンテストに私が出場していたのですが、演奏している私の姿を見て、当時24・25歳のメンバーがわざわざ楽屋まで来てくれて、16・17歳の自分に『一緒にやらないか』って誘われたんですよ。 それまでは同世代の仲間とコピーバンドをやっていましたが、そこからは作詞作曲をして演奏する、本格的なバンドをやり始めました。

――― 大人の方と一緒にやることに対して、ご両親は心配ではなかったのですか?
練習の時は毎日家まで迎えに来てくれたり、親にもしっかり挨拶をしてくれたりして、とても信頼できる方達だったので親も安心してくれていました。バンドというものに対しても、うちの親は意外とそういうことに関しては自由にやらせてくれたので(笑)昔のびのびやり過ぎてしまって、今苦労しているパターンです(苦笑)

――― バンドの方って楽譜を見ないで演奏していますよね?
すごいですよね。
一定のリズム感さえ崩れなければどうとでもなります(笑)
 
――― そのリズム感って何か別のものに生きそうですよね。
はい。ランニングに生きます(笑)ランニングってよく、レースに出ると潰れちゃうっていうじゃないですか?やはり周りのリズムに影響されて自分のペースが上下しちゃうんです。そして自分のリズムが崩れてゆく。でも、自分のペースとリズムでずっと走れば、記録は出てくるんですよ。
――― マラソンはやられているのですか?
私はトラック競技、マラソン、駅伝などすべて走っています。 富士宮駅伝にも会社の冠を付けて仲間と出場しています。本当は社員と走りたいのですが・・・。駅伝とかそういう話を出すとみんな下を向いてしまって・・・。私は体を動かすことが大好きなので、会社で運動の“う”の字を出すと、社員みんなに『社長一人でやってきて下さい!』って言われてしまうんです(苦笑)
――― 運動を始めたきっかけは何ですか?
きっかけは、13年前なんですけど、その頃設計事務所で働いていまして、デスクワークの仕事だったので体を動かすことがほとんど無かったんです。それに輪をかけてストレスなんかも重なり体調を崩してしまったんです。その時、胃カメラで診てもらった先生に、このままいったら・・・・。と言われてました。それがきっかけでした。その当時なんて、下の街まで自転車で行ってみようと思って乗っていったら、万野の辺りでもう疲れてしまって、足が動かなくなってしまい、親に迎えに来てもらうほど(苦笑)階段も、3階くらいまで上ると膝が痛くなってしまうような、そんなレベルだったんです。体重もかなり当時はありました。そこから運動をやらなきゃと思って始めました。

新聞読むのと同じで、行かないと気が済まないみたいになってまして(苦笑)行ったら行ったで、そこで走っている人達に『毎日くるね』なんて声をかけてもらったりしましたね。最初僕は、それまで運動する文化があまりなかったのでどんな格好をして走ればいいのか分からず、作業着に安全靴で走ってました(苦笑)みんなからは『朝日君のトレードマークだね』なんて言われていました。そのうち、こんなシューズを買うといいよとか、こういうシャツを買うと涼しいよなんて教えてもらったり、どうせ走るんだったら目標を持った方がいいよと言われ、その年にフルマラソンに出場しました。

――― すごいですね。走り始めて半年でフルマラソンに出場ですか?
はい。仲間が走りきるためのメニューを組み立ててくれて、なんとか最後まで走りきりましたね。その時は本当に、この世でない苦しみと痛みが道中を襲ってきましたね。でも出場したからには走りきりたいと思い頑張りました。ゴールした瞬間は、もう二度と走るものかと思いましたけどね(苦笑) やっと家に帰って来て寝て起きたら、次の日体中が痛くて起き上がれなくて、会社を休んでしまいましたね。その1・2週間は走ったことを本当に後悔したのですが、少し経つともう一回走ってみたいなっていう気持ちになって走り出し、3年目には3時間を切りましたね(笑)そこから毎年何本かフルマラソンに出場したり、飛行機に乗って全国のマラソン大会へ行って、10年くらい前までは、年間60大会くらい出場していました(笑)
―――ランニングを始めて良い仲間に出会えたんですね。
当然です。老若男女問わずいろんな仲間に出会えましたね。そこでしか触れ合わないので上下関係もないですし、お互いに切磋琢磨し合う関係というか。そういう仲間が日本全国にいます。