インタビュー

有限会社 鈴木製作所 代表取締役 鈴木髙史【前編】

 
 
◆ 自己紹介をお願いします。
(有)鈴木製作所 代表取締役の、鈴木髙史と申します。
私は、生まれも育ちも宮原。この地で育ちました。昭和43年の6月に生まれて、今年の6月で51歳になります。
父親が昭和49年に起業して、父と母の背中を見ながら幼少期を過ごしましたね。両親はずっと会社に行ったきりだったので、僕の下には妹と弟がいるんですけど、その妹と弟の世話を焼くのが自分の仕事でした。
その頃、テレビの影響で野球が好きになり、ちょうどこの近くにグラウンドがあるんですが、小学校4年生の時に宮原フェニックスという野球少年団ができ、そのグランドで本格的に野球を始める事になりました。
それまでもずっとテレビで見て好きだったんですけど、本格的に4年生から始めて、中学でもやって、富士宮北高の野球部でもやって、という感じでずっと野球をやってました。
中学時代、これが一番良かったときかな。中学三年の時に運よく全国大会に出場でき、3位になりました。これが唯一の自慢(笑)
そういういい思い出が野球ではあったんだけど、ただ北高に行ったらもう実力はね。
――― 北高はレベルが違いました?
いや、僕は北高でも1年から出てたんです。だけどやっぱり周りには北高だけじゃなくて、いろいろ試合やるとすごい人がいましたから。
プロ野球選手になりたいななんて思ってたこともありました。でも、中学後半から高校になると、まぁそういうことはさておきって感じになって。
そこから、じゃあ何するんだろうなって思って。高校の時にいろいろ考えて、このままじゃまずいなって。
北高で僕は普通科だったんです。普通科の中でも二年生の時に理系と文系の選択があるんですけど、野球部はだいたい文系に行くんです。だけど、僕はこのままじゃまずいと思って理系を選択しました。当時もう工場継ぐっていうつもりでいたので。理系を選んだのは北高野球部で一番最初は僕(笑)

――― 野球部の中で?
そうです(笑)それでも、野球も当然3年間やりましたけどね。やったけど、あんまり野球自体で良い思い出はないけど、そこで切り替わったかな。
そのままおかげさまで無事に大学に行けました。千葉の方の、千葉工業大学ってところなんです。
そこでまぁいろいろあったんですけど、高校まで野球ばかりやっていたのでちょっと違うことをしようと思って、何を選んだかって言うと映画研究部。
やっぱり文系だけあって僕の気質とは違う人たちがたくさんいて、でもそういう人達ともコミュニケーションとるのも好きなので。
それと、4年間焼き鳥屋でバイトしてたんです。それで、これ僕の特性でもあるんですけど、けっこう長く続けることが得意というか。
4年間勤め上げましたね。最後の最後まで。いろいろお客さんにも良くしてもらったし、いろんな経験をそこでさせてもらいました。
学校で学ぶより4年間バイト先で学んだことの方が収穫があったかなという気がします(笑)

それから、親の会社を継ぐつもりではあったんですけど。その当時、僕の頃はバブルのちょっと終わりくらいで、超売り手市場だったんです。ほんとリクルート組がすごくて、でも僕は就職活動は一切せず。もう親会社に行くって決めていたので。
親会社のカナエ工業さんってあるんですけどね、そこで3年間お世話になりました。いろいろ、人のつながりとかそういうものはそこで作って、まぁ今もお世話になってますけどね。
3年間修行をして、25、26歳になる年にこの会社に来まして、もう長いですね。かれこれ25年、四半世紀になりますね。そんなかたちで今まできています。

趣味はね、さっき野球の話はしたんですけど、野球は今もう趣味とは言えないかな。動けないから(笑)
――― 今でもやられてるんですか?
やってない。やってないって言うのもおかしいけど。宮原フェニックスには、もうだいぶ年月経つけど息子もお世話になっていたので、そこでいろいろコーチをやったりとか。今も実は名前は入っているのでたまに顔は出しますけど、そういう形で野球はやる方ではなくて何かしら関わってはいるけど、趣味とはいえるかなっていうとこなんですね。
――― 観るのも好きなんですよね?
観るのは好きです。僕千葉のロッテファンなので、息子が少年野球入る前は、息子を連れて、ほぼ毎週マリンスタジアムに行っていましたね(笑)ただ息子をそれだけ連れていったにも関わらず、結局あんまり、野球を好きじゃなくて。今年中学三年で野球部には入っていたんだけど、高校ではやらないって、そういう残念なね(笑)ただ、息子をこの前初めて褒めてあげたんだけど、少年野球から僕が一緒について行って、中学も正直一回も休んだことがない。
これだけは褒めてあげたい。ある意味僕も同じですけど、休むのが嫌なタイプ。それは息子もわかっているんだと思います。
続けるってことが大事ということ。
 
あとは、こんな顔してますけどけっこう本を読んだりするんです(笑)幅広くね。大学の時に時間があったので。
ちょっと興味を持ったことがあって、そこからハマりましてね。今も読まなきゃならない本がけっこうたまっていて、買うだけ買っちゃうんですよね。やっぱりいい本は手元に取っておきたい。処分する本は子供にあげちゃうんですけど。最近僕が読んでる本ていうのは、ほんとにコアなとこの難しい本なので、まだね。それは最終的には子供らにあげようかななんては思いますけど。

あとね、もうこれもあれかもしれないけど、カドウをやってるんです。
――― カドウ…?
華道。お花。これもねやってるって言えるかわかんないんですけど。経営者の先輩でかなり年上、もう80いくつの、まだ現役なんですけどね。
その方がたまたま7年前に、震災で僕らも暇だったってこともあったんですけど、声をかけてくれて。「やらねえか」って言うので、とりあえずじゃあやってみようって。これもまだ続いてる(笑)
そんな感じで、花が趣味って言えるようになってきたかな。先生にもやっと褒められるようになってきましたね。

それからこの歳になって、バイクの免許を取ったんです。バイクの免許取ってツーリングなんかもしてます。
もともとそんな興味があったわけじゃないんですけど、たまたま知り合いの社長さんが持っていて、いいなと思って。俺も乗りたいと思って(笑)
とりあえずバイクの免許とって一緒に走ったりしているんです。でも、僕が持ってるのはまだ中免なので。今年は大型とって一緒に大型乗って行きたいなとは思っています。
――― なかなか多趣味ですね。
いやいや、仕事しろって感じですよね。
――― 花器を作られてSNSに写真を載せられてましたよね。仕事に繋がってることもあるんじゃないですか?
まぁ感性だよね。何かしら活きてるとは思ってるんだけど、まぁまだまだです。
◆ 自分をどういったタイプだと思われますか?
僕のタイプ…なかなか自分じゃわからないよね(笑)いろんな人がいろんなこと言ってはくれるけど。自分で思ってるのは…
けっこう、人によってはくだらないことばっか言ってるんで、ふざけた野郎って思われているかもしれないし、真面目だねって言ってくれる人もいますけど。
うーん、やっぱりこつこつやるタイプかな。どちらかというと。
いっきにドカーンっていうタイプじゃないですね。何かすごい才能を持っているとかじゃなくて、こつこつこつこつやっていくタイプなんじゃないかなとは思います。
◆ どんな事業をされていますか?
うちの父親が起業してから自動車部品の製造をしています。自動車の部品といってもいろいろあるんですけど。
よく自動車部品の製造ってプレスとか、そういうのをイメージするかもしれないんですけど、私共はスポット溶接という仕事をやっています。
スポット溶接ってなかなか想像つかないかなと思うんですけど、プレス板金したものにナットを付けたり、板と板を重ね合わせて付けたりするのが主。プレスもやってますけどね。
スポット溶接は今でも主でやっています。あとはそのプレス品のバリを取る仕事があって、バリって言ってもわかるかな?
――― 以前バラエティ番組の町工場芸人の中でバリ取りっていうのを見たことがあります。
そうそう、そういうバリ取りを自動の機械でやるんです。冷蔵庫の部品なんかはほんとにね、手が切れちゃうんですよ。ざっくり切れちゃう。素手で普通に持つと。僕の手も傷だらけなんですけど、まぁ最近僕辺りじゃね。面の皮も厚ければ手の皮も厚い(笑)だけどやっぱり普通の人は、ぱっと持っただけでナイフと一緒だからバスって切れちゃう。そのバリを自動で取る機械を持っているので。これがバレル研磨という仕事。
で、いまここにこんなのがあるんですけど、これが燃料電池車のタンクのバンドです。
水素のタンクを車体に締結させるバンドをうちでつくっています。
もともとはLPガス車っていう車も走っていて、そのバンドもやっていたんですけどたまたま、こういう流れで今もやっていますね。
あとは、アルミの関係は昔やっていたんですけど、ちょっと東日本大震災の時に大変な目にあって。その流れでマグネシウムをね。これがけっこう、知ってる人いるかな?
――― 電源がいらないスピーカーなんですよね?
そうですね。たとえばですね、音楽かけちゃっていいですか?

――― このスピーカーに機械が組み込まれているわけじゃなくて、本当に挿すだけで反響するんですね。
マグネシウムっていう素材が振動吸収性に優れているので、いい音がでるんですよね。よく竹で作ったりするのがあるんですけど、それを真似て作って。 もともとマクルウさんていう会社があるんですけど、たまたま縁があってお付き合いをさせてもらっています。そのマクルウさんが、クラウドファンディングで立ち上げたときから携わらせてもらって、うちも加工をやらせてもらっています。結構なところまでうちでやっているんじゃないかな(笑)塗装はマクルウさんでやっているんですけどね。

それとマクルウさんの繋がりで言うと、マクルウさんはもともと『フラミンゴ』っていう杖が有名じゃないですか。その辺の加工も若干携わらせてもらっているのと、あとはドローン。
日本郵政で去年の11月に、もう初飛行(郵便局間をドローンを使って輸送する実験の)をやってニュースにもなったんじゃないかな。マクルウさんであのベースを作っているんです。その辺りの加工もうちで携わらせてもらってます。見えない所で(笑)この素材(マグネシウム)っていうのが金属の中では一番軽いので、将来性を考えるとまだまだ未知的なところもあるけど、今後の事考えるといろいろあるんじゃないかなとは思っています。
――― 今では多岐にわたっていろんな製品を作られているんですね。
まだまだやっぱりこの自動車の部品のウェイトが大きいですね。
――― マグネシウム製品については今後も広げていかれるんですか?
もちろん。もちろんというか、やっていかなきゃならないと思っています。ちょっと遊び心もあったところで、こういうふうにやっていきたいなと思うし、この溶接なんかをやる機械も買ったし。まだまだいろいろ発展性が出てくると思います。
 

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