インタビュー

シンコーラミ工業株式会社 代表取締役 社長 河原﨑哲哉 【中編】

 
 
◆ 座右の銘を教えてください
座右の銘ですか…。 色々ありますけど、ミツルの言葉で「人生はかけ算だ。どんなにチャンスがあっても君が『ゼロ』なら意味がない。」っていう言葉は好きですね。 あとは「人生笑顔が一番!」ですね。ですから、社内でも何でも僕の周りがいつも明るくなるように努めています。 僕は社内では人事採用もやっていて、面接も僕がやるのですが、色んな質問をするんです。意味のない質問はしません。 例えば新卒に「最近気になったニュースは何ですか?」「最近読んだ本は何ですか?」等はよくある質問ですよね? 皆さんはあの質問をして、その人の何がわかると思いますか?意味ないですよね、あの質問(笑)
僕が一番初めに聞く事は「あなた、運は良いですか?」なんですよ。 実際に“運の良い・悪い”が会社の経営に関わるとは、全く思ってないです。 しかし、弊社ではその質問に対して「運が良いです」って答える人が多いです。 例えばですが、従業員が100人いて、極端な話【100人が100人「僕は・私は運が良いです」と言っている集団】と【100人が100人「僕は・私は運が悪いです」と言ってる集団】 どっちの集団に飛び込みたいですか? 「運が良いです」の方ですよね?その方がみんな明るいし、前向きなので。つまり、そういう集団でいたいんです。 だからさっき(前編で)言ったように、色んなイベントやって盛り上がるのも、笑顔を大事にしてみんなで楽しくやるのも、そういうところから始まっているんです。

考えていないように見えて実際は凄く考えているんです(笑) 面接で「あなた、運が良いですか?」って聞かれたら、自分を如何に“良く見せるか”が大事なんですから、パッと考えて「運が良いです」って言わなきゃダメじゃないですか(笑) 冷静に考えればわかる筈です(笑) そこで「運が悪いです」って言っちゃうと「うわっ、こいつアピール下手だなぁ」ってなりますよね?(笑) そして裏を返せば、言い方は悪いですけど“頭の回転が悪いな”って僕は見るわけです。 本来「運が良いです」って言うべきところを何で言えないんだろう?って言う風に思います。 自分をアピールする場面で良い風に言えず、相手が求めてるものに答えられない。 馬鹿正直だったらいいのか?って言ったらそれは違いますから。 頭の回転力を見るためにも、色んな意味でこの「運が良いですか?」っていう質問が結構面白いんです。

でも、実際には面接での最初の質問で「あなた、運がいいと思う?」って聞かれると、多くの方々があたふたするんです。 「え?!えーっと…」って。 そこですごく考える人もいます。即答で「運が良いです」って答える人もいれば、「運が悪いです」って答える人もいる。 散々考えて「運が良いです」って答える人・散々考えて「運が悪いです」って答える人…様々な人がいますが、散々考えて「運が悪いです」って言う人が一番悪いです!(笑) 空気読めてないし、前向きじゃないし、頭の回転力も悪い…。 ちなみに、先日の新卒の面接では「彼女いるの?」とか、そういう話も聞きました。 たぶん高校生はみんな僕の面接を受けて「いやぁ、凄く良い感触だった。凄く盛り上がった」って思って帰ると思う。 でも実際にはその中で僕は色々読み取っているので、散々盛り上がった内容の面接でも、僕にしてみれば「あぁ、全然ダメだな」って思っていることもあります(笑) だから面接は面白いです(笑)

◆ 富士宮市の変わったところ・変わらないところを教えてください。
出来たものは沢山ありますけども、それを全て言っていったら膨大な話になっていっちゃうので…。
昔と違って…“富士宮やきそば”がメジャーになりましたよね。
僕は大学が名古屋だったので、一時期名古屋に住んでいたんです。 さっき(前編で)言ったバーベキューとかアウトドアが好きなので、みんなでやろうという事になり、“いつも買っている富士宮の麺”を名古屋のスーパーで探したんですけど…当時は無かったんですよね(笑) そこで(大学一年生の時に)初めて「あ!富士宮の焼きそばって特殊なんだ!」って知りました。
あと富士宮で変わったことは『少しずつ富士宮市をアピールすることが上手になってきたこと』だと思います。 今は日本中どこの市町村でも、中小企業が70%以上占めているんです。 富士宮市でも70%以上の人たちが大手じゃなくて中小企業に勤めています。“中小企業”は正に日本の心臓なんです。 そこで『中小企業をもっと大事にしよう』『中小企業の意見を吸い上げてより良い環境づくりをしていこう』と勧めているのが『中小企業振興基本条例』という条例です。 その条例を私が所属している“同友会”という異業種交流会や商工会議所などがしっかりと作成し、富士宮市と会議を進めて制定しました。 それから、僕ら中小企業が「これがやりたい。あれがやりたい」と言えば、行政は今までよりも非常に協力的になりました。

富士宮市はこの条例があるおかげで、中小企業と市役所が凄く近い存在になっています。 最近行っている様々ななイベントもこの条例ができて市役所との距離が近くなったおかげで実現しているものもあります。 その為、富士宮市のここ数年の変化としては『中小企業振興基本条例の制定』は凄く大きいと思います。 確かに他の市町村でもこの条例を制定しているところはあります。しかし、ただ作って満足してしまって、何も条例が機能していないんです。 だけど富士宮市はこの条例を動かそうという事で、2ヶ月-3ヶ月に一回、市役所で中小企業の経営者が集まって市役所の職員と会議を行い『市がどういう事をやろうとしているのか』『我々市民はどういう事を望むのか』などの会議を行うのです。 そういう条例を動かしているところは、富士宮市の素晴らしい所なんですね。…というちょっと真面目な話もしておかないとね(笑)

◆ 今後、富士宮市にはどのようになっていってほしいですか?
北部の開発をもうちょっと進められるようにしてもらいたいですね。これだけ膨大な土地がありますから。 富士宮市の使えるところはまだまだあって、可能性は沢山あります。それを使わないのは勿体ないなって思っています。 今はフェス等も凄く流行っているじゃないですか。朝霧JAMもやっているので、そのような事に活用することも良いと思います。最近では宿泊施設も少しずつ増えてますよね。 いよいよ富士宮駅前にもくれたけインが建ちます。 宿泊施設がどんどん増えて行ってくれれば、富士宮にもっとお金が落ちると思います。
弊社は県外のお客さんがほとんどなのですが、県外のお客さんが来られる時に大体皆さん富士にホテル取るんです。 富士宮にホテルを取らないんです。そこで宿泊施設を充実させて人を呼ぶ。 今はこれだけ富士山をアピールできて外国人客も凄く多いので、もっと潤うように出来るんじゃないかって思います。 とにかく宿泊施設を充実させていくこと、北部にある膨大な土地を上手く活用して、開発して行くこと。 そして、もっともっと観光客を呼び込めるようになっていってほしいです。 富士宮市が有名になり、魅力的な町になれば、今後の少子高齢化に対して優位になれると思います。人口減少に歯止めが出来れば、現在の人材不足に対して根本的な対策になりますからね。富士山がある、それだけで魅力的な町なのだからもっともっと魅力的な町づくりができるような一翼を担いたいと思っています。
◆ 経営をされていく中で一番意識されていること・大切にしていることは何ですか?
『利益が出るか出ないか』後は『何年先を見られるか。先見の目でどこまで見られるか』ですね。 “どこにお金が湧いてくるのか”“どこで競争力を保てるのか”という先見の目が大事です。 弊社のモットーは【他社ができない事、他社がやりたがらない事をやる】なんですが、そこにお金が生まれてくるからなのです。 だから他社がやりたがらない、小ロット、多品種、特殊な加工をメインでやってます。 特殊な面白い仕事も出来るし、面白い考え方もできるからこそ、一般汎用的な加工もできます。 経営していく上で、これは大事な基盤になっています。 あとは従業員のみんなとの関係ですね。それは先程(前編で)お話した通りです。 とにかく「この会社に入って良かった」ってみんなに言ってもらえる。それが一番大切です。

◆ 企業を経営していく中で、特に印象に残っている出来事はありますか?
火事です。もう13年前になりました。現シンコーラミ本社ではなく、旧本社の方で平成16年(2004年)に工場の半分が燃えてしまいました。
僕はその日、東京出張から終電で帰ってきて「さぁ寝よう」と思ったら、家の電話が鳴りました。 当時は僕もまだ独身で実家にいたのですが、「嫌な時間に電話が鳴るな」と思っていたら、母がバタバタっと二階の僕の部屋に上がって来て「会社が燃えてる。お父さんはもう行ったから、あなたも行きなさい」と。 もう着の身着のまま車に乗りました。 旧本社は山宮だったんですが、車で急いで向かって、会社を見たら、7m程ある会社の屋根を突き破って火柱が立っていたんです。 「あぁやべぇ、終わった…」って思いました。

鍵も全部閉まっていたので、石でガラスを割って鍵を開けて「とにかく火元を消さなきゃ!」と慌てて中に入ったら、15m~20mくらい進んだところで自分がどっちを向いてるのかさえわからなくなりました。 煙がすごく充満していたので「逃げなきゃ」と思い、這いつくばりながら外に逃げました。 その時に初めて「煙に巻かれて死ぬ」ってこういう事なんだって思い知らされました。 その後、火元に近い消火栓で放水したのですが、ホースを全部足元に出して放水したので、ホースが暴れまわってしまって(苦笑) それでも何とか放水できるようになったところで、近所の人が来てくれたので代わってもらい、僕は工場の中にもう一回入ってリフト起動させ、リフトの爪でシャッターを刺して壊しました。その頃に消防が来てくれたので「この壊したシャッターから入ってください」と言って後は消防に全部任せたのです。
消化したのは朝でしたが、その後も燻っていた炎がポッと出る事があった為、24時間体制で見回りました。僕はずっと会社に寝泊まりしていて、当時はストレスで髪の毛がすごく抜けました。 火災は5月だったので、今でも“火災の何周年”という形で毎年5月に防災訓練をやっています。 訓練って凄く大事ですよ。 消火器や消火栓の場所の確認と使い方、実際の避難経路の把握。 火の元はしっかり気を付けるという事を、毎年訓練でやっています。当時の火災現場の写真も見てもらいます。 その訓練も最近は現場から「ああいうことやりたい。こういうことやりたい」と提案してきてくれるようになりました。

例えば起震車。車に部屋が付いてて実際に震度7を体験できるというあの“起震車”に来てもらってみんなに経験してもらう。 また、ある一部の閉鎖的な空間を、体に害のない疑似的な煙で充満させて、その中を歩いてみるなど。 色々と経験してもらおうと思って、あの手この手を使って訓練しています。 僕自身が火事の怖さを知ってるし、もう二度と火事をしたくないからです。あの時には本当に「終わった」って思いましたから。
まぁ今考えれば、それがきっかけで北山(現シンコーラミ本社)に移ったりなどの良い面もあるんですが、火災だけはもう絶対に嫌です。 マイナスなイメージですけど、弊社にとってあの“火災”は絶対に忘れてはいけない事なんです。火災は、もう二度と経験したくないです。同じ思いをみんなにはしてもらいたくないから。